特例子会社参入型の農福連携が注目を
浴びるきっかけになったひとつに、ひ
なりモデルという名が浜松から発信さ
れたことが挙げられます。
実は一般社団法人ノーマポートの創設
者である高草志郎が株式会社ひなり時
代(現在はCTCひなり株式会社)に代
表をしていた時期に、ひなりモデルと
呼ばれるようになりました。
今朝はそのひなりモデルの話です。
ひなりモデルは援農型の農福連携に分
類されましたね。
特徴としましては、写真のように支援
者1名と障害者数名でユニットを組み、
地域の農家へ自動車で伺うといった点
にあります。
したがって、地域の農家との信頼関係
が事業の持続可能性に直結します。実
は高草志郎が代表に就任したときは、
地域の農家との信頼関係が崩れてしま
っていた時期であったと聞いています。
そこから地道に信頼関係の回復に努め、
京丸園株式会社との出会いも経て、軌
道に乗ってまいりました。
ところでモデルとついている以上、マ
ネすることが可能です。マネの仕方は
講演会等で話していますけれども、ひ
なりモデルはその後、パーソルサンク
ス株式会社のよこすか・みうら岬工房
の農福連携にも写されていきます。浜
松から横須賀への写しですね。
また高草志郎の急逝に伴い、事業を私
が急に引き継ぐことになりましたが、
ひなりモデルという型を残してくれて
いたからこそ、父の農福連携に対する
姿勢がそこはかとなく復元できました。
もちろん細部は異なりますし、地域の
特性や受け継いだ者の工夫も加わりま
すので、モデルは写されては、少しズ
レていくといった風に変わっていきま
す。地域から地域へ、親から子へ、何
か言葉にならないものが進化を続けて、
モデルのあとには脈々と道ができてい
くものなのかもしれませんね。
さて、このモデルは物語が生まれやす
い仕組みになっています。なぜなら、
人の目は構造上、前後の距離感を把握
しやすいようにできていますので、コ
コとアソコの区別に敏感だからです。
この分け方が物語の原型となっている。
太古でしたら村(ココ)から山(アソ
コ)へと行き、再び村へともどってき
た者が英雄でしたし、キリストもこの
世からあの世へと十字架を背負って逝
かれ、再びこの世へと復活されました
ね。
ひなりモデルの農福連携も同様に日々、
障害者がこちらの事務所からあちらの
圃場へと働きにいき、またこちらの事
務所にもどっておいでです。上のモデ
ルと似ているのがわかりますか?
農福連携をブランディングする上でひ
とつのヒントとされてください。
さて、話をさらに進めましょう。
最近では特例子会社が農福連携をする
だけでなく、上の図のようにグループ
会社全体が農福連携に参入する事例も
出てまいりました。そして、これから
もこのモデルが増えていくであろうと
ノーマポートは考えています。
例えば、特例子会社がグループ会社全
体の農福連携コーディネーターの役割
を担い、各グループ会社が農福連携サ
ポーターとして事業を進めるのも自然
でしょう。
モデルを踏襲し、ズラしていく。企業
参入型農福連携も大きく移ろっていき
そうですね。
ではまた。
▶推薦図書
『神話の力』
ジョーゼフ・キャンベル
ビル・モイヤーズ
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